こんにちは。鉄人blogに訪れていただきありがとうございます。5月4日(土)~9日(木)の日程で、山梨県北杜市で開催されたMT1000 SENKO CUP ITF Masters in Yamanashi 2024(以下センコーカップ)に出場してきました。本大会は自分自身にとって上半期の大会の中で最も重視しており、かつ最も楽しみにしていた大会でもありました。しかしこの大会をエントリーするにあたって非常に葛藤があり、ギリギリまで出場するかどうか悩んでいました。まずはそのことについてお話をしていきたいと思います。
〇葛藤
今年に入ってから出場予定の大会について年間スケジュールとにらめっこしながら、仕事との兼ね合いなども考えて決めていきました。Aグレードの全日本ベテランにBグレードは関西オープン、Cグレードは大毎オープン(優勝)、そして、昨年既に優勝していたEグレードのクリスマスベテラン、Fグレードの舞洲オープンそして1月に出場したITF兵庫(優勝)と合わせて5月に山梨で開催されるセンコーカップもしくは、大阪で開催されるDグレードの関西ハードコートベテランの出場を考えていました。
大会に出場するにあたって重要視していることは、グレードが高い大会であることはもちろんそうですが、それ以上に仕事との両立が図りやすい大会、つまり職場(神戸市西区)近郊で開催され、その日の試合が終われば、職場に戻ることができる大会ということになります。
全日本ベテランは職場に戻ることができませんが、それ以外の大会は基本的には試合が終われば職場に戻って仕事をすることができますので、例年と同じ大会にエントリーしましたが、今年はある事情があってもう一つ県外での大会を考えていました。それが山梨のセンコーカップでした。
センコーカップにどうしても出場したい理由が3つありました。
一つ目は、2年前も同大会に出場しましたが、後ほど述べますこの大会特有のコート状況に対応できず、準決勝で全く自分のテニスができないまま負けてしまったことがあり、その借りを返したかったこと。
二つ目が、アジアで初めてマスターズ1000にグレードアップされた大会で、優勝すれば、JOP換算で2000ポイントを獲得できる大会になったこと。
そして最後の理由(これが一番大きい)は、11月に東京の有明コロシアムで開催される世界選手権のプレ大会の位置づけであり、(45歳以上のみ室内ハードコートでの開催)それに出場を目指している私にとっては、日本のトップランカーの選手のみならず、海外から来るトップの外国人選手と対戦することができるまたとない機会を得ることができる大会であることなどがありました。
ただ、この大会に出場するためには大きなハードルがありました。それは、仕事の調整、そして家族との時間でした。まず仕事についてですが、大会日程を見ると5月4日(土)~9日(木)のうち、5月6日(月)~9日(木)の最大4日間を休まないといけないということでした。
現在、フリースクールで勤務している関係で、6日(月)祝日も出勤日のため、GW明けに4日間も休むことは、他のスタッフにも負担をかけることになります。また、4月の末にも大毎オープンに参加して、仕事を抜けていたため、そのあたりも気がかりな点でした。
次に家族との時間ですが、もし1回戦(土曜日)からのスタートになると通常前日の金曜日に山梨に向けて出発することになるので、GW後半の4日間全て試合で家を空けることになってしまいます。自分にとってテニスの試合は大切なものですが、家族との時間はそれ以上に大切なものなのです。
2年前も同じく山梨のセンコーカップに出場しましたが、その時の日程は前半のGWから始まっていましたので、後半のGWは家族と一緒に過ごすことができましたが、今回の日程では、それができません。以上の理由から大会要項が出て、開催日程が分かった時、この大会に出ることは99%無理だと考えていました。
〇出場を決める
自分の中で「出たい。無理だ。出たい。無理だ。」が数日間続いて、ほぼほぼ、「無理だ。」に気持ちが傾き、代わりにセンコーカップの1週間後に開催される関西ハードコート選手権に出場することが自分の中で決まりかけていました。
関西ハードコート選手権であれば、会場は大阪で少し遠いですが、2年前も出場し、優勝していますし、試合後に職場に戻ることができ、GWに家族とも過ごすことができます。
また、今年は2連覇していた3月の山陽オープンに仕事の関係で出場できず、Dグレードの優勝ポイントも失っており、ランキング1位からも陥落していましたので、同じDグレードの関西ハードコートで優勝し、ランキング1位に復帰したいとの思いもありました。
しかし、日々更新されるセンコーカップのエントリーリストを見るたびに外国人選手や国内のトップ選手の名前が上がっていき、「やっぱりこの大会に出たい。」という気持ちが大きくなってきました。
その後、時間をとって、もう一度自分の気持ちを確かめようと思いました。少し大げさな表現になりますが、「もし、この大会に出なければ、自分がこの世を去る時に本当に後悔のない選択だったといえるだろうか。」「納得してこの後の競技生活を続けていけるだろうか。」何度も自分に問いかけた結果出た結論は「この大会に出場する。」でした。
〇職場、家族に大会出場の意思を伝える
「センコーカップに出場する。」と自分の中で決めた後は、職場そして家族にその意思を伝え、調整していくことになりました。職場には最大4日間休ませてもらうこと、その間の仕事の代行などの調整をお願いし、無事に調整が完了しました。
次は家族です。GWという1年間でもお盆期間や年末年始に次いで家族との時間をゆっくりすごせる期間で、ある程度予定も決めていましたが、妻に自分の気持ちを素直に伝え、この期間に試合に行かせてもらえないかとお願いしました。
妻の気持ちを慮るともちろん諸手を挙げて、賛成できないとは分かっていましたし、反対されれば試合に出場は止めようと思っていましたが、最終的には私の気持ちを理解してくれ山梨行きを認めてくれました。私の思いを理解し、認めてくれた妻には感謝の気持ちしかありませんでした。このような過程がありながら、4月末のエントリー締め切り数日前に無事にエントリーすることができました。
〇シードに入ることを祈る
無事にエントリーできましたが、やはり家族との貴重な時間が奪われるので、1日でも家族と一緒にいたいとも思っていました。そのためには何としてもシードに入ってほしいと祈るような気持ちで毎日エントリーリストを眺めていました。
今回の大会は48ドローで32人以上のエントリーがあればシードが16本つくことになります。私がエントリーした時点で、60人近くのエントリーがありましたので、16本のシードがつくことになりましたが、私のITFポイントは1月のセンコーカップ兵庫の優勝ポイントの400点しかなく、数大会出場している選手が多くエントリーしている中で、シードに入るかギリギリのラインでした。
そしてエントリーが締め切られ、ドキドキしながらアップされたエントリーリストを確認したところ、15番目でギリギリでシードとなり、私自身の初戦が日曜日になりました。これで、少なくとも金曜日は家族と一緒に過ごせることになり、非常に安堵したと同時に、喜びを感じました。
それと同時に日曜日の試合もできるだけ、午後のラウンドに回してもらえるようレフリーにお願いし、試合開始がNB13:30となったおかげで、日曜日の朝に出発することができ、土曜日も家族と過ごすことができるようになりました。
このようないろいろなことがありつつも、無事にいい形でセンコーカップに向かうことができました。PART1の今回は大会出場するまでのいろいろな出来事についてお話させていただきましたので、PART2からは実際の試合や大会での気づきなどをお話していきたいと思います。長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。次回もよろしくお願いします!
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